【第20話】タツヒコ伝説

恋愛小説(ノンフィクション)

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タツヒコ

2010年9月18日 没

あなたは今、何を想う…

 

- 番外編 -

『タツヒコ伝説』

哀悼の意を表し、ここに送ります。

 

ッシャーン、、オーーーン、、、リーーーン!!!!

ちゃぶ台が毎日ひっくり返っていた。

茶碗は、いつも宙を飛び交っていた。

泣き叫ぶ母。

夏の暑い中、冬の寒い中、何度僕は母から家を連れ出されたかわからない。

僕の父、タツヒコは完全なアル中だった。

アルコールが体内に注がれる前と後とでは、父は全くの別人になるのだった。

酒を飲んでいない時の父は、口数の少ない物静かで寡黙な人だった。

カレーを作ることと日曜大工が得意で、幼い頃の僕は「カレー屋をやれば絶対に儲かるのにな」っていつも思っていた。

父は、こんな僕の気持ちをよく理解してくれていて、日曜日になると、午後3時頃からカレーの仕込みを行ってくれていた。

日曜大工もかなりの腕前だった。

小学校の頃、僕はジャンケンで勝って、学校からウサギをもらって帰ったことがあった。

父は文句の一言も言わずに、週末には大きなウサギ小屋を作ってくれた。

新田原(しんでんばる)という町に、カブトムシが大量に採れる場所があって、一回行って100匹位のカブトムシを採ってきたこともあった。

週末には、100匹のカブトムシは、大きな専用かごの中で飼育されるようになり、僕の書いた昆虫採集日記はクラスで注目の的となった。

僕が一人っ子だから、寂しい想いをさせないように、色んなことをやってくれた。

今、この記事を書いてても涙が止まらない…。

こんな優しい父だったが、
毎日、
酒が全てを変えてしまっていた。

酒が入ると父は、父からタツヒコに変わるのだった。

本人もこのことを自覚しており、午後6時からの晩酌がスタートする前から、徐々にテンションを上げ始め、僕に挑発的な態度を取っていた。

日頃、まず叱ることのなかった父が、このタイミングから変身することを僕はよく知っていた。

僕が言うことを聞かないときの口癖はこうだ。

「おい、ジョー、あんまり言うことを聞かないと、おっつぁん お父さん、元気になるぞ!」

danpei
※タツヒコのイメージです。丹下段平さんではありません。^^;;

いつもは優しい父で、叱られた記憶はほとんどなかったのだが、、

しかし、、

酒が入ると全くの別人と化してしまっていた。

ここは、文章で書いても伝わらないと思う。

父の “お父さんからタツヒコへの変身ぶり” は、まず言葉で表現することは不可能だと僕は断言できる。

ほんの数行前まで涙を流しながら記事を書いていた僕が、今、この瞬間は砂漠のように乾いた瞳にサンテ40(※40代専用目薬^^;;)が欲しくてたまんないくらいだ。

タツヒコの暴れっぷりは、完全に次元を超えていた。

母は、いつも泣き崩れながら、割れた茶碗を片付けていた。

僕は、散らばった食事を手で拾っていた。

その姿を、顔面真っ赤な赤鬼と化したタツヒコは、勝ち誇ったように見ていた。

僕は、この時にはいつも “こんな大人になんて絶対になってたまるか!” という想いを抱き、勉強に集中した。

その甲斐あってか、実は成績はずっと良くて、高校の頃、姿カタチはヤンキーだったが、彼女と出逢う前までの僕は、成績が学年でトップの方だった。

そう、僕は日頃は悪い連中とたむろして、タバコを吸ったり、パチンコに行ったりしてバッくれていたのだが、家に帰ると集中して勉強していたのだ。

こんにゃく屋の磯辺くん(第11話参照)も、こんな僕達だったから憧れを抱いてくれていたのかもしれない。
※実は茶髪リーゼントの相方、ヨシノリも成績が良かった。タバコを吸いながら僕の部屋でよく二人で勉強してたナ。(*^_^*)

この習慣が身に付いたのは、何を隠そうタツヒコが猛獣と化してくれていたからに違いない。

大人になった今でも、どんな勉強でも苦にならなずに集中できるのは、父・タツヒコのお陰だったと感謝している。

しかも、僕は酒乱の父の影響で、ほとんど酒を飲まない。(タバコも9年前に止めた)

反面教師も悪くないと、僕は思う。

長くなってきたが、ここでタツヒコ事件をいくつか紹介しておきたい。

 

反抗期、真っ只中の中学生の頃の僕は、ある時タツヒコへの反抗の印に、当時流行っていた “THE MODS” の『激しい雨が』を大音量で聞いていた。

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mods

その時だ!赤鬼タツヒコが部屋に入ってきた!!

片方の脇に、物干竿を抱えていた。

おおおおおお~~!!!!

と雄叫びを上げ、僕のステレオのアンプの両脇に設置していた30cm以上はある大きなスピーカーのど真ん中をひと刺しで貫通させたのだった。

次の日から、激しい雨は鳴り止んだ。

タツヒコの完全なる勝利だ。

 

また、ある時は、こんなこともあった。

高校の頃、自宅に帰宅すると警察が来ていた。

patokaa

タツヒコ怪獣がいつも以上に暴れ狂い、近所の人が通報したのだった。

一瞬、警察を見て「ヤバイっ!!」と、自分事だと思った僕はなんだったんだろう…^^;;

 

こんなタツヒコだったが、名言集を数多く残してこの世を去った。

まず、タツヒコは、自らを 『神』 だと言い放っていた。

僕は、本当にタツヒコは “神” かもしれないと何度か思ったものだ。

タツヒコの頭はツルツルで、後光が差しているように見えた。
※と親戚の子達はみんな言っていた。ごめん、親父。オレは思ってなかったが。。^^;;

日の出とタツヒコが重ね合う姿は、神そのもののように見えた。

 

次に書くことは、本当に感謝していることだ。

タツヒコは、僕のことを馬鹿呼ばわりしたことが一度もなく、

「お前は神の子なのだから、天才なのだ。
だから、お前は大統領になるのだ。
なぜなら、お前は神の子だからだ。
大統領が無理ならば、総理大臣になるのだ。
なぜなら、お前は神の子だからだ。
総理大臣が無理ならば、町長になるのだ。」

※なぜか、総理大臣から一気に町長へレベルダウンしていた。^^;;

こんなことを、酒を飲んで豹変した赤鬼タツヒコは何度も繰り返し説法していた。

これは、今の僕自身に、

「まだまだ自分の中には可能性が秘められているんだ」

と思える自分作りが出来たことのベースとなったのだと思う。

だから、僕は今でもチャレンジを続けられているのだと思う。

残念ながら、親父の夢であった大統領や総理大臣、町長にはなれなかったが、諦めない気持ちは常に持ち続けられている。

これには感謝だ。

 

そして、極めつけは、

「お前は川から流れて来た子だ。
神の私は、お前を救ってあげたのだ。」

だった。

「アンタ、今までオレのこと、
自分(神)の子だって言ってたじゃん!」

って、酔っ払いじゃなければ、ツッコミを入れたくなるとこだ。

とまあ、こんな本当にユニークな父であったが、

最後に一つだけ、こんな言葉も言っていた。

「ワシは、神だから死なない」

この言葉だけは、裏切られた想いが今も消えない。

「嘘つき野郎!死にやがって!!(涙)」

以上、赤鬼タツヒコ伝説でした。

 

今日は、ついつい長文になってしまいました。

お盆のこの時期に、父のことを思い出して記事にすることになるとは、想像もしていませんでした。
きっと、お盆のこの時期に帰ってきている父が、僕にこの記事を書かせたのでしょう。
(やるな、タツヒコ!)

どこまでもわがままな父で、本当にすみません…。

1,000人以上の人を付き合わせてしまいましたね。^^;;;;;

最後まで付き合ってくださった読者の皆様に、心より御礼申し上げます。

お盆の季節、どうぞご先祖様に手を合わせて、私達をこの世に誕生させてくださったことに感謝の気持ちをお伝えしてあげてください。

合掌

 

追伸:
色々書きましたが、本当に父には感謝の気持ちで一杯です。
約3年前、僕は葬儀で泣くことはほとんどありませんでしたが、
今ではたまに仏壇に手を合わせているときに涙が出ることがあります。
最後まで不良を貫き通した父でしたが、できればもっといろんなことを
話し合いたかったです。
残された母とは、こんな後悔をしないように沢山の会話をします。
今日は、これから墓参りに行ってきます。

 

今日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

それではまた。

 

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