UWARIYU

ウキウキワクワクする理由がココにある(UWARIYU)

【第01話】至上最低な男、それが10年前の私である...

      2014/11/16

この記事は約 6 分で読めます。

SponsordLink


↑良い記事をお届けいたします。クリックにご協力願います。m(__)m

M@X(まっくす)です。

皆さん、今日は何の日だかご存知ですか?

はい、お釈迦様の誕生日ですね。

花祭りが、全国各地で開催されることと思います。

ちょうど10年前の「2004年4月8日」、僕はお釈迦様から助けていただきました。

この記事をこんな形で書くことになるなんて、当時は全く想像していませんでした。

また、なぜか書こうという気がしなかったというか、書いてはいけないような気持ちに駆られていたというのが正直なところです。

僕の心の中で封印されてしまっていたというか...。

今年は、2014年です。

何か目に見えない大きな動きが僕自身に起き始めていて、「コレって何だろう?」ってずっと考えてて....。

冬が終わりに近づいたある日、ふとあの時から何年経ったんだろう?って思ってしまったんですね。

そうです。

あの時とは、「2004年4月8日」のことです。

今から丁度10年前の今日、僕はお釈迦様に助けられたのです。

この真実の記事を最後までお読みいただけると、絶対に皆さんは幸せになれることをお約束いたします。

なぜならば、幸せになるためには、どうすれば良いのか?

また、何をやらなければ良い人生を送ることができるのか?

といった具体的な方法がわかるからです。

2004年4月8日まで、
僕は鬱病で苦しみ、
パニック障害を併発し、
何度も自殺をしようとした人間です。

でも、10年前の今日、この日に、ある奇跡が本当に起こり、こうして記事を書いているのです。

これから皆さんにお届けすることは、紛れもない事実であり、真実です。

"真理" と言っても良いお話しです。

世の中の平和を本気で願い、本日から記事を投稿していきます。

では、僕の10年前から振り返って、お話しをお伝えしてまいりましょう。







 

【第01話】至上最低な男、それが10年前の私である...

 

2003年が終わろうとしていた。

私は大手電機メーカーに辞表を提出し、新たな門出を迎えようとしていた。

当時の私の年齢は34歳。

年収は1000万を超えていて、自分では若手成功者のように内心思っていた。

家族中が笑顔で満たされており、16歳から愛し続けていた妻は既に38歳を迎えていたが、とても美しく、笑った顔は16歳当時に付き合い始めた頃のままであった。

私は30歳の頃にマイホームを建て、ガレージを設置し、高級車までは買えないにせよ、ガレージの中に車を2台所有、自宅裏にはサーフ小屋なるサーフィン専用の小屋を設置し、その中にサーフボードを5、6本並べて、週末になると近くの海で上がる波のサイズに応じてボードを選んではサーフィンに繰り出すという、なんとも贅沢な生活を送っていた。

サーフィンの後は、友達を自宅に呼んで、庭でBBQをして毎週末、振舞っていた。

私は妻に言った。


「オレと結婚して良かっただろう?」

妻は小さく頷いた。

 

私は、至上最低な男だった。

 

こんな私に、2003年夏頃、私の携帯電話に仕事中1本のコールが入った。

(ツゥルルル...カシャ..)

私:「はい、矢吹(仮称)ですけど...」

相手:「矢吹さんの携帯ですか?」

私:「はい、どちら様ですか?」

相手:「突然のお電話で申し訳ございません。
私、日本○○○株式会社の人事担当の○○と申します。
今、お時間よろしいでしょうか?」

私:「あ、は、はい、、大丈夫ですけど...」

相手:「実は、貴方様の事を知りまして、富○通で特許を取得されていますよね?」

私:「は、はい。。それが何か?」

相手:「私どもは、矢吹様のことを高く評価しております。
よろしければ、一度お会いできませんでしょうか?」

最初何がなんだかわからなかったのだが、ハッと気付いた。


(これは、ヘッドハンティングだ!)



私は、少し動揺しつつも、平常心を装いながら、冷静に電話で会う約束をしたのだった。

当時の私は、完全企業戦士となっており、家庭を顧みることなく、仕事に没頭していた。

平日は毎日午前様は当たり前であり、顧客のシステムトラブルがあると、問題が解決するまで何日でも徹夜をしていた。

そんなわけで会社で付いたあだ名は、「ファイヤーマン」。

このあだ名はまんざら悪くないと思いながら、常に高い評価をいただけていることに満足し、死に物狂いで仕事にのめり込んでいたのだ。

会社の評価は、常に満点。

それどころか、ここの会社は360度分析なるものがあって、私は上司からも部下からも同僚からも評価されていた。

この評価結果に、周囲の目を憚(はばか)らずに、号泣したこともあった。

だから、私はこの会社を辞めるなんてことはまず考えてもいなかったし、おそらく誰もが私が会社を辞めるなんて思ってもいなかったと思う。

そんな私が、2003年12月に辞表を提出したのだ。

周囲の驚きは壮絶だったが、私は今だに何故こんなに愛している会社を辞めたのか謎のままなのだ。

この年の暮れは、なんとも複雑な心境であった。

なんせ、自分の意思とは違った方向へ舵を切っていたような感覚があったからである。

しかし、ヘッドハンティングされた会社への入社は、刻一刻と迫っているのである。

2004年1月1日入社。

外資系なので、ルールなんてものはない。

節目としては良いかもな程度の気持ちで、正月の元日を私は転職日としたのである。

転職先は、結構なツワモノがウジャウジャいることは事前に分かっていた。

東大、早稲田、慶應といった一流大学出身の連中もワンサカいることだって知っていた。

私は、34歳にして、いきなりこの外資系企業のマネージャーとして、再デビューすることになったのである。

今思うと、かなり頭がイカれていたように思う。

当時、どんなことを考えていたのかというと、
「髪の毛は思い切って茶髪に染め上げようかな」
とか、
「車を外車に買い替えて出勤するかな」
とか、本当に今思えば、この思考回路は何だったんだろうと思う位に、既に入社前から精神状態がおかしくなっていたように思うのである。

そして、2004年の幕が明けるのであった。

(つづく)

 

今日も最後まで僕の記事をお読みいただきましてありがとうございました。

皆様へ幸せが訪れますように想いを込めてお送りしております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

最後までお読みいただき、ありがとうございました。(*^_^*)
↓1クリックのご協力などをお願いできませんでしょうか?m(__)m

[`yahoo` not found]
[`evernote` not found]
LINEで送る

 - 釈迦から助けられた男(実話)