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【第05話】佐賀での初研修で分かったある事実

      2016/04/24

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M@X(まっくす)です。

第03話と第04話、いかがだったでしょうか?

これからこの連載を読み進めていただく上で、重要なことをお伝え出来たのではないかと思います。

この連載を読み進めていただければ、あなたが幸せになっていただけるという意味も、なんとなくご理解いただけたのではないでしょうか?

僕には、花がないのです。

ただ、花を咲かせることはできる。

その花とは、この記事を読んでくださっているあなたのことなんです。

このことを強く意識し、これからのストーリーを楽しんでいただれば幸いです。

「釈迦~」を、たまたま通りすがりにチラっと読んじゃったって方もいらっしゃるかもしれません。

それは、あなたにとっての運命、いや、宿命なのかもしれませんね。

あなたには、あなた自身が気付いていない可能性が秘められているのです。

だから、この記事に辿り着いたのです。

花咲か爺さんのM@Xに、付き合ってみてください。

人生が大きく変わるチャンスかもしれませんよ。

では、今回は少し戻って第02話からの続きとなります。

※今回から「前回までのあらすじ」を簡単にまとめますね。






【第05話】佐賀での初研修で分かったある事実

~~~ 前回までのあらすじ ~~~

12年前に履歴書で足切りされた会社から、突如ヘッドハンティングを受けた矢吹。

遂に人生で突き抜ける時がやってきた!

そして、新年早々、佐賀での研修に意気揚々と参加した。

そこで矢吹のことを待ち受けていたものとは...

~~~~~~~~~~~~~~~~~

ヘッドハンティングされた日本オ○クルへの最初の出社は、なんと佐賀県の山奥からの元日スタートとなった。

まあ、これはわからなくはない。

だって、私がこの会社に入社したのは、2004年1月1日なのだから。

笑っちゃうような本当の話なので、変わった会社だなって思った方も多いだろう。

まず、日本の企業では考えられないことだと思う。

そんなわけで、私の初出社は、本当に佐賀県の山奥となったわけだ。

私が当時乗っていた車は、ダイ〇ツのムー〇というシルバーの軽自動車だった。

サーフィンをやっていたため、常に車は潮風にあたり車体を傷めてしまうので、当時の私は車には一切お金を掛けていなかった。

私は、サーフキャリアを付けた軽自動車で、佐賀県の研修施設に到着した。

まず、そこで見た光景は、クソ田舎の山の中に並ぶ高級車の数々であった。

・ベン〇
・ベン〇ワゴン
・ベン〇の四駆(?)
・BM〇
・ラン〇クルーザー



それは、紛れもないここの会社の社員の皆さんの所有車であることが分かった。

「すげぇ~なぁ~、サラリーマンやろ、みんな...」

さすがは外資系企業である。

確か、ここの会社は、バブルがはじけた後のビジネス系の雑誌で、新卒社員の給与ランキングで全国10位内にランキングされていた記憶があった。

まあ、当時、私は既に年収1000万を超えていたので、この手の車を買おうと思えば買えたと思うが、どうもそっち方面にお金を突っ込むことを嫌った。

それは、今でも同じである。

小さな頃から貧乏だった私は、車にお金を掛けることを好まない。

今でも欲しいものは、海外不動産だったりする(笑)

話が脱線してしまったが、ベン〇やらBM〇やらが止まっている隣に私の愛車「ムー〇」を止めるのは流石に恥ずかしくって、私は端っこの目立たない場所へ車を止めて、足早に研修会場へと向かった。

結局のところ、髪の毛も染めることなく、また車も買い替えることなく、ひっそりと入社することに決めたのであった。

研究会場に入ると、社員の皆さんは既に集まっていた。

「あ、はじめまして、、元・富○通の矢吹と申します。」

転職4回目ともなると、"元~" という前に在籍していた会社名を無意識に言葉にしてしまう。何故だろう。

挨拶をした後で、「正月なんだから、もっと大きな声で "あけましておめでとうございます!" って大きな声で言うべきだったかな」などと、私は考えていた。

挨拶をした先には、日本○○○の社員が8人程いた。

そう、私は福岡支社に配属となったので、ここの支社は支社長を含めて10人程度の少数精鋭部隊だったのである。

みんなが私の方を一斉に振り返ってくれて、笑顔で挨拶を返してくれた。

「はじめまして、○○と申します。どうぞよろしくお願いします。」

みんな謙虚で爽やかだ。

私は、良い会社に転職できたと思った。(この時は...)

みんなと挨拶を交わした後、奥から支社長の江崎(仮称)さんが登場してきて、私に挨拶をしてくれた。

「待っていましたよ、矢吹さん」

とても背か高くてダンディーな江崎さんとは、入社前に何度か食事をし、私の想いや夢をお伝えしていた。

江崎さんは、私に非常に期待を寄せてくれて、私も江崎さんの期待に早く答えたいと思った。

(「あ~~、やっぱりこの会社に転職できて正解だったなぁ~~」)

支社長が私のことを、"さん" 付けで呼んでくださる会社なんてそうそうないだろう。

皆さん全員が、紳士的であり、その中に一人だけマスコット的存在のエミちゃん(仮称)という女性社員がいた。

エミちゃんは、みんなから "ちゃん" 付けで呼ばれており、私は流石にいきなり "ちゃん" 付けは失礼だろうと思って、私だけ彼女のことを苗字で呼ぼうとしたのだが、エミちゃんから「その呼び方は止めてください」と言われた。

私もみんなと同様に "ちゃん" 付で、彼女のことを呼ばせてもらうようにして、急接近でみんなと仲良くなることができたように思えた。

こんな感じなので、さぞかし雰囲気の良い研修がスタートするものだと思った私だったが、研修開始と同時に、この和やかなムードは一変することになることなんて、私には知る由もなかった。

研修は、10時ジャストにスタートした。

壇上に江崎支社長が立ち、新年の挨拶と共に、今年度の意気込みや抱負を語り始めた。

外資系の年度の始まりは1月であるため、ずっと日本企業に勤めていた私には多少違和感があったが、新年に意気込みを語ることはどこにでもある光景なので、すぐに慣れてきた。

と、ここまでは、全く問題なかったのだが...。

その後に、私は意気消沈してしまうことになるのであった。

それは、社員各自のプレゼンテーションが始まってからである。

全員、めちゃくちゃプレゼンテーションが上手い!

テーマは、各自の今年度の目標設定についてだった。

この日本○○○という会社は、パッケージベンダー(ソフトウェアを販売する会社のこと)であるため、プレゼンテーション能力が問われるのはわかっていたのだが、社員全員のプレゼン能力の高さに、私は大きな衝撃を受けていた。

しかも、福岡支社は20代前半の入社2年生や3年生もいるのだが、彼らも抜群のプレゼンテーションを繰り広げた。

そして、社員の最後のプレゼンテーションは、

"中田健二(仮称)"

だった。

彼は、この会社で私の上司となる男だった。※この研修で始めて知った。

私はこの時、彼が私の上司になることは知らなかったし、聞かされていなかった。

それどころか、私はこの会社に入社する際の条件として、

"マネージャー"

という肩書きを得ていた。

そして、江崎支社長から入社前に次のように言われた。

「矢吹さん、中田さんも来年からマネージャーとなります。彼と共に、福岡支社を盛り上げてください。」

実は、私は中田さんのことは、入社前からよく知っていたのである。

何故なら、中田さんは私の高校の後輩だったからである。

しかも、3つ年下の...。

更に、私は高校では「機械科」、中田さんは「工業化学科」という1つランクが低い学科出身。

そして更に更に、、、私はその高校を卒業後、茨城へ行き、そこで茨城大学を卒業して学位を取得していたが、中田さんは、高卒のまま...。

つまり、まとめると、

今、私の目の前で凛とした姿勢で登壇した中田さんは、

「私よりも3つ下の同じ高校の後輩。
 しかも、学科は自分よりも低い学科。
 更に私は学卒だが、彼は高卒。」

というわけである。

その中田さんとこの会社では、同じマネージャーと聞かされていたわけだが、

入社してみると、

彼は部長に昇格しており、私はマネージャーでありながら、なんと彼の部下という体制が成り立っていたわけである。

私の心中は、説明するまでもないだろう。

複雑だった...。

ゆっくりと、壇上で中田さんが話し始めた。

「皆さん、こんにちは。福岡支社、部長の中田です。」

(つづく)

 

追伸:

ちょっとスピリチュアル路線から外れてしまったように思われた方もいらっしゃると思います。
いきなり、話は「白い巨〇」や「半〇直樹」っぽくなってしまいましたが、なんと言っても実話ですからねwww
『浮りゆ』のポリシーとして、フィクションモノは書きません。
次回以降の展開にもご期待ください。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。(*^_^*)
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 - 釈迦から助けられた男(実話)