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M@X(まっくす)です。
第01話の反応が良かったことが本当に嬉しかったです!ありがとうございます。
古くから僕のことをご存知なお方(恋愛小説から知っている方)は、僕は真実しか書かないこともご存知だと思います。
僕は、このノンフィクションを書きたくて、ブログを始めたと言っても過言ではありません。
全エネルギーをこの記事に注ぎ、読んでくださる皆様が幸せになれるように”願”をかけながら書いています。
それでは、第02話をお楽しみください。
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【第02話】神への導きなのか?
2004年の年が明けた。
私は、新たな人生の幕開けに一抹の不安を抱いていた。
初めての外資系企業への転職。
ここで、私にとっては面白い事情が生じたのでお伝えしておきたいと思う。
このヘッドハンティングされた大手外資系企業なのだが、実は私が21歳の頃に一度履歴書を出したことのある企業なのである。
その時は、履歴書のみで一蹴され面接にも受けあってもらえなかったのだ。
つまり、履歴書のみで落とされた会社から、その12年後にヘッドハンティングされたというわけだ。
この逆転劇は、私にとってはまんざら悪くもなく、むしろ、武勇伝の一つが出来たように思えていた。
まあ、このお調子者は、後に鼻の頭をへし折られることになるわけだが、ここでは21歳当時、なぜ私がこの企業に転職しようと思ったのかを述べておきたいと思う。
当時、私は茨城県日立市で働いており、原子力関連の仕事に従事していた。
こう書くと、これまたエリート色の強いお堅い仕事のように思われてしまうかもしれないが、仕事の中身は至って単純で、上司の作った資料のコピー取りと、渡された文書のワープロ作業という頭を使うことなんて一切ない単調な事務作業を繰り返していた。
私は、高校卒業と同時に、今の妻と九州から駆け落ちして上京してきた場所が、たまたま茨城県日立市だったのである。
人生の目的なんてものはなく、ただ妻と、生まれ故郷を捨てて逃げてきて、辿り着ける場所があればどこでもよかったのだ。
そこで初めて就いた会社が人材派遣会社だったわけで、そこの派遣会社から “日○製作所” に出向させられ、仕事をしていたのである。
その仕事の内容は、前述したような他愛のない単純作業なわけで、ここで私は初めて人生ということを考え始めるようになった。
「コピーとワープロの毎日じゃ、この先どうなるんだ?しかも、オレは高卒だぞ…。」
意気揚々と九州から駆け落ちしてきた私だったのだが、実は夢がなかったわけではない。
私に人生を託してくれた妻を、何が何でも幸せにしてあげたかった。
だから、駆け落ち当初は、駆け落ち先を東京に決めていた。
私は、一旦東京の普通の会社へ就職し、そこから別の仕事を掛け持ちで始めて、ある分野で成功しようと考えていた。
しかし、高校卒業直前に、内定をいただいていた会社の方から、いきなり「勤務地変更のお願い」という手紙が届き、東京ではなく茨城勤務ということになったのだ。
まあ、福岡の苅田町という田舎で育ってきた私だったので、茨城は東京のすぐ近くなわけだし、「別の仕事は茨城でもあるだろう」なんて安易に考えていたわけである。
しかし、この想い(ある分野で成功する)を実現させることができない現実が、茨城県日立市に移り住んでわかったのだ。
“夜のネオンが眩しくない…”
日立市というのは、町全体を日○製作所が運営しているような感じがあり、非常に健全な町であった。
町全体の規律が厳しいのか、夜間に別の仕事でWワークすることには閉塞的であった。
真面目なサラリーマンが集う町といった感じがした。
このために、私は別の仕事を並行で始めることが出来ず、ひたすら日○製作所の中で派遣社員として働いていたのだ。
そんな状態が続いていたため、お金を増やすことなど出来るはずもなく、高卒派遣社員ということで月収13万程度の低賃金で、同棲中の妻とギリギリの生活を送っていた。
※まあ、他に副業を営んでいたので、実はお金に不自由はしていなかったのですが、ここでは割愛します。^^;;
(ノンフィクション恋愛小説を読んでいただいている読者の方は、僕の副業の才能はご存知ですよねw)
ただ、こんな中にもチャンスがやってきたのである。
ある日、派遣先の上司から
「矢吹くん、データベースというものを作ってみないか?」
との打診をいただいた。
“データベース” とは、データを集める箱のようなものだ。
※EX●ELをもっとマニアックにしたようなものですね^^;;
この箱から自分の欲しい情報を自由自在に取り出したり、格納したりする仕組みのことを “データベース・エンジン” という。
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そして、”データベース” と “データベース・エンジン” を組み合わたものを “データベース管理システム” と呼ぶ。
派遣先の上司は、山のように蓄積された原子力データを、このデータベースシステムで管理したいというのだ。
この管理ソフトの名前が 『ORA●LE(オラ●ル)』 と呼ばれるものであり、私はこのソフトを使いこなすように指示を受けたのであった。
当時のオラ●ルのバージョンは「6(シックス)」。
使いこなすためには、SQLという非手続型言語と呼ばれるプログラム命令文を覚えなくてはならなかった。
派遣社員で、毎日コピーとワープロ入力ばかりが仕事だった私には、これが千載一遇のチャンスに見えた!
それから、分厚い英語のマニュアルと格闘する日々が続いた。
当時(今から24年前)は、今のようにインターネットなんてものはなく、どうしても分からないことは、販売元(日本オラ○ルの代理店のア○キーという会社だったと思う)にFAXで尋ねるしかなかった。
実は、この時に私は、集まったデータを “様々な角度から分析をして答えを導き出す” という行為に尋常ではない興奮を覚えたのである。
つまり、
「この魔法を覚えて使いこなせば、オレのことを必要とする会社が出てくるんじゃないのか!?」
と思ったわけである。
このチャンスを自分のものにするために、日○製作所の正社員の誰よりもオラクルを使いこなせるようなるまで、日夜SQLとの格闘が始まったのである。
結果、『日○製作所のオラ●ル使いといえば矢吹』 というまでに成っていったのである。
実は、この時、オラ●ル使いになれた私は、このソフトの開発元の『日本オラ〇ル』という会社に興味を持ったのである。
(この会社が伸びないわけがないだろう…)
※この予感は的中し、その8年後の1999年2月5日に『日本オラ○ル』は店頭市場へ株式公開し、2000年4月28日に東証一部上場を果たしている。
社員になってストックオプションを買っていれば今頃…^^;;;;
外資系企業ということもあって、学歴なんて関係なく自分の実力を売れる会社だろうと思い、高卒の私は、唐突に『日本オラ○ル』へ履歴書を送りつけたのであった。
しかし、この結果は、笛吹けども踊らず…。
無常にも何の音沙汰もないまま、私はこの『日本オラ○ル』という会社から門前払いを食らってしまった。
※実はその数ヶ月後に、不合格通知が届いた。「なんじゃ、この会社は…」と本気で呆れたものだ。
この当時、日本にオラ●ル使いは、数名しか存在していなかったことは、日本オラ○ルとのFAXでのやり取りの結果を見ても明らかだった。
(要するに、そこまで突っ込んだ質問をするエンジニアがまだ日本には居なくて、日本オラ○ル側から私の手法はどこで探したのか?と逆に質問されるような状況だったわけである)
やっぱり、日本にやってきた外資系企業も、所詮は学歴社会に染まるということなのか…。
当時は、そんな気持ちに駆られてしまっていた。
まあ、その後、私は茨城大学へ進学し、4年間で卒業して学位を得るのだが、今となっては、この行為に何の意味もなかったと真面目に思っている自分がここにいる(笑)
この21歳の頃の私をコケにした会社から、今度は逆に「うちの会社へ来てくれませんか?」とお願いされたわけである。
髪の毛でも金髪にして、出社してやろうかなという気持ちになったのも、今思えば、21歳の頃の苦い経験があったからかもしれない。
今回は、まだ全くスピリチュアルを感じるようなところに至っていないのだが、ここで1つだけ面白い話をしておきたいと思う。
読者の皆さんは、『オラクル』という単語が何を示しているかご存知だろうか?
以下は、Wikipediaからの抜粋である。
■オラクル
・預言、神託、託宣。神の言葉。または、それを受け取る人(預言者、シビュラ)、受け取る場所(神託所)。古代ギリシアでは、デルポイのアポロン神殿の神託所、およびその神殿の入り口に刻まれていた格言(通称「デルポイの神託」)が有名。
いかがだろうか?
この後、この会社へ入社した後からの壮絶な私のストーリーを知れば、読者の皆さんは、この会社が単なる会社ではなく、神がかり的な会社なのではないかと思わざるを得ないことになるだろう。
そして、2004年、この日本オラ○ルへの新年最初の出社は、なんと佐賀県の山奥での研修からのスタートとなった。
そこで待っていたものとは…。
(つづく)

次回は、佐賀県の研修の様子をお届けするのではなく、私自身に起きた奇跡的な出来事の後にわかった、ある衝撃の事実をお見せしたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。(*^_^*)
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